mercredi 25 mai 2011

苦しみの後、光は見えてきたか


昨日はお昼からビブリオテークへ。まず、これまでにまとめたパワーポイントを見直す。今一つ新鮮味がない。自分自身が驚かない。これまでの単なる焼き直しではないのか。先日のピアニスト、フランチェスコ・トリスターノさんも言っていたが、まず自分自身が驚くようなことでなければ面白くないだろう。これからやることは、今あるものの裏にあるテーマを哲学の視点から掘り起こし、その視点から見直すことではないのか。何をやっていたのかという思いで、少し目が覚める。出てきたテーマのひとつについてすぐに読み始める。まだどうなるかわからない。

帰りのメトロではエキシビジョニストが乗り込んできたが、運転席からのアナウンスで大人しく降りていた。こちらに来てから初めての経験になる。メトロを出て歩き始めると、嬉しいことに次から次に飛行機雲が現れてくれた。



今朝はセントルイスのカール・クレイヴァ―さんからメールが来ていた。先日わたしが書いたものを送ったそのお礼になる。そして、新たに意見を求める2-3行のコメントが付いている。専門家のちょっとした言葉はいつものわたしの目を開かせてくれる。しかも昨日から悩んでいたことと直接関連してきそうな疑問なのである。早速、関連の論文をネットで探す。驚いたことに、今までアクセスできなかったのでビブリオテークで手に入れようと思っていた論文がすぐに出てくるではないか。予定を変更して、バルコンで読むことにした。

そしてお昼にメール・ボックスを開けると、先週のオペロン・シンポジウムで話し込んだ今パスツール研究所にいるアメリカの若手研究者から博士論文と関連する論文が届いていた。ほとんどは "It was nice talking with you." と書き出すが、彼は "It was fascinating talking with you about..." と始めている。全く予期せぬ出遭いがしばしば何ものにも代え難いものを齎してくれるのも会議の良さだろう。未だその姿も見えないわたしの思索の形が現れた段階で、また話をする機会が訪れるような気がしている。そして暫くすると、この夏にこちらを訪問することになっているS氏から 「パリの洞窟で瞑想する修験者」 宛ての心に沁みるメールをいただいた。S氏とのお付き合いはアメリカ時代からなので、現役時代を通しての友人ということになる。この夏どういう話が飛び出すのか、今から楽しみである。

午後から外に読みに出る。論文を読むつもりだったが、途中で入ったリブレリーで最近取り上げたばかりのお二方、ヴァレリー・ペクレスさんユベール・リーヴスさんの本が現れ、予定が狂ってしまった。それもまた良し春のパリ、という気分だ。それにしても街はもうバカンスの香りが漂っている。普段から人間が抑えられておらず、街の景色からも疎外されていないという印象を持っている。それが今日は一段とゆったりして見え、街全体を包むように眺めると恰も音楽を聴いているようだ。こういうところは何とも言えず好きなところである。同じ人生なのに、というのがすぐに浮かんでくる感想になる。アパルトマンに戻る時、いつも軽やかな音楽を奏でるように " Bonjour, Monsieur ! " と挨拶してくれる女性とすれ違う。今や完璧にその音を再現できるのだが、この場でできないのが残念だ。バカンスは確かに始まっている。


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