samedi 28 mai 2011

身のまわりの境界が溶け、科学と周辺の境界も

(239, rue des Pyrénées, 75020 Paris)


このところ、周囲との境界が溶けてきているように見える。それを一番感じるのは街に出て人と接する時だ。こちらの心持が軽快になっていることはすでに触れたが、ここで言っているのは相手の態度になる。その中に異質なものに対応するという要素が少なくなっているように見えるのだ。どこか同僚にでも話すような感じになっている。こちらの見かけには時の流れによる変化以外はないはずだが、肩の力でも抜け、目には見えない雰囲気のようなものが変ってきているのだろうか。景色に溶け込むようになってきたのだろうか。

ビブリオテークでは席に番号が付いていて、それをネットで予約することにしている。アパルトマンを出る時に部屋と席番をチェックしてから行くのだが、しばしば忘れる。先日、それをフランス語の音として頭の中で発音してから出掛けてみた。そうするとすぐに浮かんでくることがわかった。これを普通のフランス語にも応用するとよさそうだが、それを実行する気配は未だ見られない。



Essai sur l'homme
(An Essay on Man by Ernst Cassirer)


エルンスト・カッシーラーErnst Cassirer, 1874-1945) という哲学者は所謂文理の統合を目指していた、というような文章をどこかで読み、興味を覚える。名前は大昔に聞いたことがあり、マスターの時に2-3度出ていたくらいで、忘れられた哲学者ではないかと思っていた。広く書いているようだが、全3巻の 「シンボル形式の哲学」 (岩波文庫から出ている) が主著になるのだろうか。

La Philosophie des formes symboliques (1923-1929), 3 tomes
t. I : Le langage (1923), 「言語
t. II : La pensée mythique (1925), 「神話的思考
t. III : La phénoménologie de la connaissance (1929), 「認識の現象学 (上)(下)

これを読んでいる暇はないので困っていたが、このエッセンスを一般向けに書いたという英語版からの訳 Essai sur l'homme (「人間―シンボルを操るもの」、岩波文庫) があることを知る。早速、彼の科学に対する考えを読んでみると、科学は人間が行く着く最高のところに位置すると高らかに語っている。少しナイーブ過ぎるのではないかというのが第一印象。しかし、筆の進め方が醒めていて分析的で理解しやすい。他の領域についても少しだけ読んでみたが、形而上学的思索が過ぎるところがなく、むしろ科学的とでも言いたいくらいだ。わたしでもついて行けるだろうか。

----------------------------------
lundi 30 mai 2011

カッシーラーさんだが、今月初めに日本の T 氏から送っていただいた論文にも出ていたことを思い出す。無意識の効果もあったのだろうか。


Aucun commentaire:

Enregistrer un commentaire