mercredi 6 juillet 2011

2年振りの出会いや科学的形而上学のことなど


Jazz à la Villette 2011
(31 août - 11 septembre)


昨日はビブリオテークに向かったが、メトロが途中で止まり下車。もう慣れっこになっている。お蔭さまで久しぶりの研究所へ向かうことに。図書館ではナント大学のローランさんとばったり顔を合わせる。テル・アビブの会議で会って以来なので、2年振りということになる。そんな感じは全然しないのだが、時の流れは恐ろしい。彼は昨年ラマルク以降の科学者の流れについて本を出したので、そのお祝いを言う。誠実に仕事を進めるタイプで好感が持てる。

Anna Zeligowski さんの展覧会、そしていくつかの出会い (2009-06-09)
Qu'est ce que le néolamarckisme ? (Laurent Loison)


研究所では締りのない時の流れとなることが多いのだが、久振りのせいか比較的きりっとしていた。途中、ル・モンドの読書欄を一月分覗く。その中に、新しくコレージュ・ド・フランスの 「知の形而上学と哲学」 (Métaphysique et philosophie de la connaissance)講座の教授になったクロディーヌ・ティエルスランさん (Claudine Tiercelin) の紹介が出ていた。ジャック・ブヴレスさん (Jacques Bouveresse) の後任になるのだろうか。また、この選考が想定外だったようで、選考に纏わる話がいろいろあることを知る。彼女の守備範囲がフランスの哲学界で扱われるところから外れていることに違和感を覚える人もいるようである。

L'inconnue du Collège de France (La Nouvel Observateur, 14 juin 2011)

ル・モンドの記事の中にあった 「科学的形而上学」 ' métaphysique scientifique ' という言葉に目が行く。彼女の最近の作品にもこの言葉が使われている。科学時代になって、ややもすれば揶揄の対象にもなりかねない形而上学。科学の世界にいた者として、その対極にあると思われる形而上学の世界に興味を持ったとしても何の不思議もないだろう。その世界を覗くためにこの道に入ったと言っても過言ではないのだ。しかし、その形而上学を科学的に扱おうというのだろうか。そこにどんな世界が待ち構えているのだろうのか。興味が湧いている。

クロディーヌさんの対象には、彼女が 「アメリカのライプニッツ」 と呼ぶチャールズ・サンダース・パース (1839-1914) が入っている。記号論の先達でもあり、何かの繋がりを感じる。パースはプラグマティズムの提唱者とされるが、真理を功利に、知を行動に矮小化して紹介されていると彼女は見ている。実際にはその逆で、パースこそ真の科学的哲学者であり、 偶然に支配される宇宙において、どのようにして価値や規範が生れるのかを自問した人であると捉えている。

就任講義 (2011年5月5日) はこちらから。



帰ってラジオをつけると、小沢征爾さんがOzawa Englishで話している。Seiji Ozawa International Academy Switzerland が3日(日)にジュネーブでコンサートをやった後、明日パリ(Salle Gaveau)でコンサートを開くのを機に話を聞くという趣向のようだ。その冒頭で、小沢さんは最高の音楽としてディヌ・リパッティ (Dinu Lipatti, 1917-1950) 演奏によるバッハの 「主よ、人の望みの喜びよ」 (Herz und Mund und Tat und Leben) を挙げていた。








2 commentaires:

  1. ■お久しぶりです。「観察」から「断章」へとステージが変わられたようですね。「断章」をリンクさせていただきます。最近、ぼちぼち、フランス語を読んでおります。パスカルとシオランが中心ですが、やはり魅力的な言語ですね。まだ、読むだけで精一杯ですが…。では、また。

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  2. 冬月様
    訪問ありがとうございます。
    言葉により触発される程度が外国語によって異なっているように思います。わたしの場合もフランス語による影響は想像以上に大きいのではないかと疑っているところです。この4月くらいから雰囲気を変えて相変わらずの観察を続けております。お暇の折にお越しください。

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