vendredi 12 août 2011

人間になるためには変わらなければならない



月曜から始まった会は今日が最終日だった。人工生命を研究する分野がどういうところなのかという問が1週間頭にあった。まだ掴み切れていないが、生命現象を数学に置き換える理論生物学やコンピュータ・シミュレーションやロボティクスなどのコンピュータ・サイエンスに及ぶ領域を跨ぐ分野というのが今の印象になる。6月に様子を見た記号学とは異なり、所謂文系の要素は入っていないので純粋科学の一分野になるのだろう。数学が基本になるので、個人的には距離を感じる。

プログラムの挨拶によると、Alife は学際的な科学で、まだ未熟な段階にあるため確立された科学からは疑いの目で見られることもあるという。その見方の中に主流を行く科学の無関心や尊大さがあるのではないか、もう少し和気藹々とした気持ちや好奇心を示すことがあってもよいのではないかとの言葉もある。次回はシチリア島のタオルミーナで開かれることが決まり、町の紹介があった。ウィキによると、映画 「グラン・ブルー」 の舞台になったところだという。

これはいつも感じることだが、何かを通過するとそれがどんなものであれ、どこかが変わっている。すぐに気付くこともあるし、暫く時が経ってからそれまで見えなかった結び付きが現れることもある。敢えて言えば、これも joie de vivre の一つになるのだろうか。



Pr. Eric Wieschaus (Princeton Univ., Prix Nobel 1995)


ところで、昨日はエリック・ヴィーシャウスさんのお話から始まった。研究対象はショウジョウバエの初期胚の形成で、特にどのようなメカニズムで球状の構造が窪み、体の中の臓器 (心臓、血管、腎臓、筋肉、骨格など) を作る中胚葉ができ上がるのかに注目。細胞の体積を変えることなく、ミオシンという収縮タンパクが移動し、細胞の一部が収縮して形を変えることにより、細胞群が球の中に入り込む分子機構の一部を明らかにしていた。

一つの受精卵から人間になるためには、物理的に変わらなければならない。形を変えなければならないという。科学的にはそこまでしか言えないだろう。敢えて敷衍すれば、目には見えないところも変わらなければならないはずである。最後まで人間にはなれないのが人間であるとすれば、どこかにあるだろう精神の営みを通して変えるという作業をやり続けなければならないだろう。退屈などしている暇はないことになる。これから連休が始まるのだが、、、





専門を離れてからこのような会に出て発見したことの一つに、スライドの図や写真の美しさがあることについては以前に触れた。時に、芸術作品も及ばないほどの輝きを放つものも現れる。昨日はその美しさに目を見張ることが多かった。これまでは実験結果として意味のあるメッセージだけに注目して見ていた。そのため、このような美しさが隠れていることには気付かなかった。今ではスライドを 一つの芸術作品として味わっているようなところがある。美しくないスライドを受け付けなくなっている。こちらは他の方のスライドだが、データを通り越して抽象絵画でも見ている気分になった。







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