dimanche 11 septembre 2011

やはり学問に王道なし



土曜のような土曜日の次は、日曜のような日曜日だった。集中力がなくなっているようで、一つのことを長く続けられない。すぐに対象の鮮度が落ちてきて、興味が失われるという症状だ。その背後には気が多く、興味が拡散するためじっくりと腰を落ち着けてやることを苦手とする性向がありそうだ。結果として、いろいろなことを少しずつやることになる。これはひょっとすると、最後まで未完成の状態が続いた後、運が良ければ纏まるかもしれないというこれまでのパターンになりそうだ。

今日、論文の書き方についてのコツがアメリカから送られてきた。それによると、三分の一の時間を概略のまとめと資料集めに当て、残り三分の二は書くことに当てることを勧めている。後半には誤りがないかの確認や他人の意見を聞きながら校正したりする時間も入る。また、テーマは絞り込むほどよいとも書かれてある。どうもわたしの考えは甘そうだ。すでに三分の二を焦点の定まらない開きっぱなしの状態で過ごした身にとって、どのような方法が残っているのだろうか。ここに至ってやり方を模索しているようでは先が思いやられる。

それにしてもアメリカのやり方は具体的で細かい。マニュアルがあると、ものごとをはっきりと割り切って見るようになる。還元主義・理性主義を突き詰めると起こるだろうそれ以外の世界の存在が見えなくなる可能性が浮かび上がる。メールを見ながらそのことを感じていた。旧大陸では最後まで模索しながら只管牛のように歩むしかないのかもしれない。



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