lundi 31 octobre 2011

リッカルド・シャイーさんのベートーベン交響曲第9番を聴きながら



切っ掛けははっきりとは思いださない。おそらく、ル・モンドのサイトを開けた時に広告が目に入ったような気がしている。ひと月前のことだ。すぐにプログラムを調べ、注文していた。パリはもう5年目に入ったが、初めての本格的コンサートになる。別に意識的に避けていたわけではないが、最初の2年くらいはそんな余裕などなく、後の2年はそんな気分にならなかった。どこかに学生には贅沢ではないかという気持ちもあったのかもしれない。日常に音楽や音楽的なものが溢れ、アパルトマンを出るといつも不思議の世界 (詩的で音楽的?) が待っているので強い欲求にまで至らなかったのだろうか。

コンサートはリッカルド・シャイー (Riccardo Chailly, 1953- ) 指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏によるベートーベンの第9交響曲合唱付きである。ビブリオテークからサル・プレイエルに出掛ける。ゲヴァントハウスを引き連れてベートーベンの交響曲全曲演奏をしていたようだ。




プログラムによると、最初の曲はフリードリヒ・チェルハさん1926- ) がベートーベンの第9の前に演奏する曲としてゲヴァントハウスから依頼されたもので、最初の反応は Non ! だったようだ。しかし、日が経つにつれて曲の冒頭が頭に鳴り響き、菌糸体のように増殖しはじめたという。そして、最初の姿がどうだったのかわからなくなるほどの変容を遂げ、一音も書くことなく混沌とした中から形が見えてきた時、委嘱を受けることにして一気に書き上げたとのこと。この一節には肖りたいものだと強く反応していた。ただ、曲はあまり印象に残っていない。





ベートーベンの第9は何度も聞いているはずだが、実演はそれほどない。曲の外から何気なく聴く時と今日は明らかに違った。曲の内側から聴いているという感覚が常に付き纏っていた。そのせいだろうか。これまで聴いたことのない曲に何度聞えたことだろう。シャイーさんの表情の付け方に新しいところもあり、こんな曲だったのかという思いで実に新鮮な経験になった。合唱が始まるとみなさんがどんな姿で歌っているのかをオペラグラスでたっぷりと味わわせていただいた。人間が声を出して歌うというのも随分と野性的な運動であることに気付く。叫びのようなところなど尚更だ。

演奏を聴きながら、もう何十年も前のカーネギー・ホールでの演奏を思い出していた。指揮はクルト・マズアさん。そのすぐ後にロリン・マゼール指揮のクリーヴランド管弦楽団を聴き、音量の違いに驚いたのだ。ゲヴァントハウスの演奏には音そのものの迫力に欠けるというのがその時の印象で、ヨーロッパとアメリカの違いを実感させられた最初の経験になった。近いうちにアメリカのオーケストラを聴いて当時の印象を確かめてみたいものだと思っていた。





ところで、バイオリンに Kana Akasaka という名前が見えた。イタリア人がドイツのオーケストラをパリで指揮する。隣の席からはイタリア語や聞き慣れない言葉が聞こえる。ヨーロッパにいれば当た り前だが、日本からの目で見直せば、異なる文化の中を人がよく動いていることに驚く。どこか羨望にも近い驚きである。



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