samedi 22 octobre 2011

サンタクロースのいる世界、あるいは永遠の嘘




子供の頃、サンタクロースが何を持ってきてくれるのかを楽しみに寝たこともあった。それがいつの間にかそこにはからくりがあることに気付くことになる。それから夢見がちの青年時代が訪れる。そこでは超越的な存在により最善の形に導かれるだろう、謂わば守られた世界にいるだけでよいと考えていた。しかし、現実の社会にも舞台装置があり、それをこれから動かさなければならないことが見えてくる。そして、あーあ、これが大人になるということだったのかと嘆息することになる。と同時に、いつまでも虚構の世界に留まり、背後にある装置を見たくないと思ったこともある。大人にはなりたくないという気分である。

3・11以降、あるいはそれ以前から次第に明らかになりつつあることについて、いろいろな人がいろいろなことを言っている。その考えに触れる時、いつも思い出すのはこのサンタクロースの話だ。目の前で進行していることは以前とほとんど変わらないが、何かの原因で背後の装置を剥き出しにしてしまった時、どう対応するのか。それでも味気ないその舞台の裏側は見たくないという気持ちでいるのか。今まで通り、何事もなかったように生活したいという気持ちもよくわかる。ただ、そうしているうちに意識の中から舞台装置があっという間に消えていく。

このような状況では、枠の中の話をするのか、自らを取り巻く枠組みをも含めた話をするのかが重要な問題になる。そのどちらを選ぶのかを考えなければならない。もし自分の生きている世界がどういう世界なのかをできるだけ正確に知りたいと思うのが人間の根源的な欲求であるとすれば、舞台装置を取り上げないわけにはいかないはずである。閉塞感が進行しているという言葉を見続けているが、枠の中のお話をしている限りその感覚は消えないような気がする。


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