mercredi 9 novembre 2011

パリのアメリカ人とのお話は日本へ



今日は午後から定期検診へ。待合室に後から入ってきたご婦人に先生の名前と予約時間を確認される。少し言葉を交わした後、彼女はこう聞いてきた。「あなたの第一言語はフランス語ですか、英語ですか」。中身は日本なのだが、外からはどう見えているのかわからないと気付くのはこうした質問を受ける時だ。訛りがあったのでフランス人ではないと思ったが、わたしに向かって第一言語をフランス語かと聞いてきたので、間違いなく外国人だとわかる。日本語ですと答えると、流暢な日本語で話し掛けてきた。お話を伺うと、3年半ほどご主人の仕事の関係で東京で過ごし、3.11の4カ月前にパリに来たという。運命を感じているカリフォルニア州サンディエゴ出身のアメリカ人である。フランス語はまだ慣れないので英語で話をしたかったようで、わたしにとっても幸いなことであった。

これまで住んでいた国が変貌するところをテレビで観るのは不思議な経験だったという。今はどういう状態ですかと聞かれたが、よくわからないので忘れていないことを願っていると答える。それからフランスの話になり、フランス人があまり親切でないこと (特に、日本の後なので)、それぞれが自由に動いていて規則を守らないように見えることなど、よい印象を持っていない。わたしが哲学をやっていることを知ると、アメリカとフランスの考え方の違いをどう見ているのか聞いてきたので、ここにこれまで書いてきたようなことを話すと納得した様子。そして、科学は意味の領域には入らないので、哲学が重要になる、哲学によって深みが出る、と付け加えていた。

こちらからは日本の印象を聞いてみた。非常によくしてもらったので大切な思い出になっているという。ただ、マニュアル社会のためか、考え方が型に嵌っていて臨機応変の対応ができないこと、そして視野が外に開いておらず、外の人に対する対処法を知らないのではないかとの印象を持っている。それは街で感じるだけではなく、東京の有数の病院のお医者さんからも感じたという。それはよい面と悪い面があるのだろうが、と付け加えていたが、、。

外から入って行くと、おそらくそう見えるのだろう。日本は大国から見ると本当に小さな島国である。外からその中をやりやすいように変えてみたいと思っても不思議ではない。今回のギリシャを数日間見ただけで、このような力が働くことが皮膚感覚でわかるようになる。しかも、彼らの考え方自体がダイナミックである。問題は、中にいるとその辺りの感触が掴めず、外の影響に鈍感になりがちだということだろう。




日本は今、TPPで大騒ぎのようである。詳しくフォローしている訳ではないので、これからは井戸端のお話になる。日本にはいつも何かが起きてから慌てるところがあり、最後はそれぞれに札を付けてそれを叫ぶだけに終わる。そこでは中身が本当はどういうものかを理解しようとする機運が最初から起こらず、したがって本当の議論も生れない。そして、どちらに落ち着いても嵐が過ぎ去ると忘れてしまい、凪が戻ってくる。

今回のTPPは日本の文化にも大きな影響を及ぼすので反対という意見を読んだ。もしそうだとすれば、深刻な状況である。ただ、この場合の日本の文化とは一体どんなことを言っているのだろうか。その中の何が最後まで譲れないところになるのだろうか。こういう重要な問題について、広い分野からの研究成果が発表され、それに基づいた議論はされていたのだろうか。その上でのコンセンサスのようなものはあるのだろうか。日本にとっての根源的な問題について、落ち着いた議論が日頃から進んでいるような成熟を見てみたいものである。それがなければ、次の嵐が来た時にも同じようなことになるだろう。




今日は診察時間が1時間も遅れ、少し話し込んでしまった。大学が終わった後のことを聞かれ、まだ決めていないと答えると、日本は外に出た人が帰り、中を変えなければならないのではないですか、というご意見だった。日本で暮らしたことのあるアメリカ人からはそう見えるのだろうか。問題は何を変え、何を守るのかという大きなことになる。




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