samedi 12 novembre 2011

日本を特徴づけているもの、そしてモンテーニュの視点



先日のパリのアメリカ人との会話の記事で言い足りないところがあった。それは日本の文化を特徴づけているものは一体何なのか、という点を取り巻く問題についてである。今回のように、日本文化を根底から覆す事態になりかねない、という表現を見る時、その対象は一体何のことを言っているのかについて考える必要があるのではないかと思ったのである。それを自分も知りたいと思ったのである。時間のある方はそれぞれに研究できるだろうが、ほとんどの方は忙しく動いていて考える余裕などないはずである。

このような重要な問題については人文科学や社会科学での成果を基に考えるという姿勢が必要になるのではないだろう。そのために科学があると言うと功利主義になりかねないが、そこから出てきたものを利用しない手はないだろう。研究者の側も、自らの営みやその分野の成果を開陳して議論の材料とするところが少ないのではないだろうか。広くフォローしている訳ではないので非科学的な印象でしかないが、これまでにもそのようなやり方をあまり見たことがない。

そんなことを考えたのは、自らが動いていて、しかもその中にいる場合と動きから隔離され、完全に受容体になり切っている時とでは見えてくることが違ってくると実感しているからである。こちらで受け入れるだけの状態にいると、以前よりものがよく (少なくとも違って) 見えているような錯覚に陥っているからである。

動きが始まってからの議論はそれぞれが立場を決めてからになりがちなので、視野狭窄に陥いる可能性がある。データではなく、感情に訴えることになる。そこで出番が回ってくるのが科学の側のはずなのだが、その影が薄いように見える。日本文化などという大きな問題については膨大な成果があるはずで、その一端でも披露されると目を開かされることになるのではないだろうか。権力に取り入ることが立派な学者への道と考える人が多いところでは、本当の科学精神も批判精神も育たないのかもしれない。

日本のどこかにモンテーニュのような方はいないのだろうか。
お話を聞いてみたい気分の土曜の朝である。




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