mercredi 21 décembre 2011

風邪が届けた取り留めも無いこと



寒いバルコンでの観察と瞑想のためか、ついに喉に来たようだ。
普段では考えられない低く深い声が出ているのはよいが、少しだるさがある。
そろそろお年をお考えになっては・・・という声が聞こえる。


今日も用事があり外出。
メトロではホルンによる季節の音楽が流れていた。
久し振りに気持ち良く聴くことができた。


用事の合間にリブレリーへ。
これまでの全開状態に比べると、締りが出てきたように感じる。
手当たり次第にやってみるのが青春時代。
そこに別れを告げなければならない時が来たとでも考え始めたのだろうか。
研究に向かうためには焦点を絞って考えなければならないからか。
いつまでも空を飛んでいたいのだが ・・・


地上に降りるということは、現実に帰るということ。
広げた大風呂敷の中身を具体的に見直さざるを得ない。
一日のうち、どれだけの時間を集中できるのか。
そうであれば、何をやって何を止めなければならないのか。

・・・
・・・

急に面白みがなくなってくる。
セ・ラ・ヴィと言って諦めなければならないのか。





先日のこと。
シベリア抑留後に詩を書くことになった方についての文章をネットからプリントアウト。
それを持ってカフェへ。

読みながら、スペースができたところをなぜかマークしていた。
しばらくして見直すと、まさに偶然のなせる技。
愛らしい表情が見えるではないか。

その気にならなければ見えないのである。
観察という行為が如何に難しいかの一例になるかもしれない。




Le jour le plus Court


明日は冬至。

それに合わせて、一番短い日という短編映画のお祭が開かれるようだ。

これから明るさに向かうとすれば、ほんの少しだけ気分が浮き立つ。



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