Habemus Papam とは、英語で言えば "We have a Pope!"。新しいローマ教皇が選ばれた時に、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂のバルコンから発せられる言葉である。この映画では新教皇がその言葉を聞くが、バルコンに出て祝福の言葉を発するのを拒否する。何がその背後にあるのか。どのような葛藤があるのか、あったのか、いろいろ想像しながら観ていた。バチカンを逃れて街を放浪するが、最後に呼び戻され再びその機会が訪れる。そしてバルコンから発せられた言葉は・・・。信仰そのものに疑念を抱いていたのだろうか。感受性のなさか、最後まで葛藤の中身が掴めなかった。
・・・・・・スタンダールは私の生涯における最も美しい偶然の一つだといえる。――なぜなら、私の生涯において画期的なことはすべて、偶然が私に投げて寄越したのであって、決して誰かの推薦によるのではない。――このスタンダールという人こそ、まことに並みの評価の及ばぬ存在である。物事の先を読む心理家としてのその眼。ナポレオンという当時の最大の事実性の間近にいたことを想起させるその事実把握 (すなわち、「爪によってナポレオンを知る」 ex ungue Napoleonem)。最後に、彼が正直な無神論者であることも、少からず貴重なことだと思う。無神論者というのはフランスではきわめて数の少ない、ほとんど見当たらない種族なのであるから。――もっともこの点ではプロスペル・メリメにも敬意を払っておかなくてはならないが。
昨日だっただろうか。地鳴りのする雷鳴が轟き、閃光が走り、そして豪雨が降った。こちらの天候異常と言えばせいぜいこの程度ではないだろうか。この夏の短い日本滞在のことを思い出すと、地震あり、台風あり、それに高い湿度と多彩だった。落ち着いて永遠や絶対を考えるなどという気にはならない。今ヨーロッパにいて、その違いの大きさが体でわかる。以前にこんなことも書いていた。 モンテスキューとともに気候を考える Penser au climat avec Montesquieu (2008-07-14)
Sous le pont Mirabeau coule la Seine. ミラボー橋の下 セーヌが流れ Et nos amours 二人の恋が Faut-il qu'il m'en souvienne なぜこうも思い出されるのか La joie venait toujours après la peine 喜びはいつも苦労のあとに来たものだ
Vienne la nuit sonne l'heure 夜よ来い、時鐘 (とき) よ打て Les jours s'en vont je demeure 日々は去り行き私は残る
Les mains dans les mains restons face à face 手に手をとって向き合ったままでいよう Tandis que sous そのまにも Le pont de nos bras passe 二人の腕の橋の下 Des éternels regards l'onde si lasse 永遠のまなざしに疲れた波が過ぎ行き
Vienne la nuit sonne l'heure 夜よ来い、時鐘 (とき) よ打て Les jours s'en vont je demeure 日々は去り行き私は残る
L'amour s'en va comme cette eau courante 恋は去り行く ここに流れる水のように L'amour s'en va 恋は去り行く comme la vie est lente 人生の歩みののろさ Et comme l'Espérance est violente そして 「希望」 の狂おしさ
Vienne la nuit sonne l'heure 夜よ来い、時鐘 (とき) よ打て Les jours s'en vont je demeure 日々は去り行き私は残る
Passent les jours et passent les semaines 日々が過ぎ 週また週が過ぎて行き Ni temps passé 過ぎた時も Ni les amours reviennent 恋もまた戻って来ない Sous le pont Mirabeau coule la Seine ミラボー橋の下 セーヌが流れ
Vienne la nuit sonne l'heure 夜よ来い、時鐘 (とき) よ打て Les jours s'en vont je demeure 日々は去り行き私は残る