samedi 14 janvier 2012

ジャン・ジャック・ルソー生誕300年、あるいは科学・技術と自然


Jean-Jacques Rousseau
(28 juin 1712 à Genève - 2 juillet 1778 à Ermenonville)


まだ正月は開けていないようだ。新年のルクセンブルグで手に入れた雑誌がどこかに引っ掛かっているからだろうか。ル・ポワンで今年がジャン・ジャック・ルソーの生誕300年(Tricentenaire)に当たることを知る。昨日の記事に石もて追われたルソーが出てきたが、何という微かな繋がりだろうか。学生時代に 「エミール」 や 「告白」、後年 「孤独な散歩者の夢想」 や最近日本の古本屋で見つけた「言語起源論」 などに触れている。また、フランス革命の恐怖政治に影響を与えたとして、理性を重視する立場からの批判があることには気付いていた。しかし、全体としてどう捉えたらよいのかには目が行っていなかった。いずれにしても今のわたしと直接の繋がりはなさそうなので、読むにしても先になるだろうと思っていた。「悲しき熱帯」 や 「野生の思考」 のクロード・レヴィ・ストロースさん(1908-2009)がわれわれの師であり兄であると書いているジャン・ジャック。ル・ポワンの記事では、ルソーが年々若返っているかに見える訳を3つのカルフールで説明している。

一つ目は平等の政治だ。彼の場合、平等を理想として謳い上げるだけでは満足せず、不平等の根にある腐敗したものは消し去らねばならないと考えていた。彼が特異なのは、平等と普遍を結び付けて考えていたことである。社会の不公正、専制的な権力、欺瞞に満ちた習慣などに順応しながら見せかけの真理を説く哲学者を彼は許すことはなかった。彼にとって、このような偽物の思想家は法螺吹き、詐欺師以外の何物でもなかったからだ。大切にしていたのは、何を置いても心の誠実さであった。

二つ目のカルフールは、技術に対する警戒だった。彼こそ、自然の立場から科学・技術を批判した最初の人間ではないだろうか。理性や科学が進歩を齎し、それが人間の幸福に繋がると考えていた啓蒙時代において、大胆にも不信の声を挙げたのである。このような希望と熱狂で一色に染まる社会に対して、彼は敢然と疑念の反旗を翻したのである。ただ、彼のことを科学の敵で自然の友、高度の技術を拒否し、単純な道具は受容する人間として見ると間違うだろう。すべてのものに両面があるように、技術にも良い面と悪い面があること、盲目的な一面的思考から離れ、その都度両面を吟味しなければならないと言いたかったのではないか。ここで指摘しなければならないことは、彼が科学の進歩と道徳の進歩の乖離を見ていたことだろう。当時、科学と道徳は手に手を取って歩むと信じられていた中でのことである。知識が増えても人間的にはならず、安楽と力と健康を得ても必ずしも正義や連帯が生れる訳ではない。彼は理性と心情とが違うことを見ていたのだ。

そして、最後のカルフールが心の声である。他の哲学者が理性、意識、身体、精神などと語る時、彼は心こそ自然の声を直接聞くことができる場所であると考えていた。まず、痛みを抱えた他者に対する、考える以前に自然に生まれてくる憐みの心(la pitié)。「自然人」 (l'homme de la nature) は心が語りかける声を決して聞き間違えないが、自然から離れ変質した 「人間人」(l'homme de l'homme) だけがその声に息苦しくなり、冷酷にもエゴイズムと無関心に陥ることになる。

先日の記事で、われわれの脳は汲めども尽きぬ泉ではないかと書いた(2011-12-27)。しかし、ルソーはわれわれの心にある感情こそが汲めども尽きぬ力の源泉であると主張しているかのようだ。上の三つのカルフールから現在の状況を見渡してみると、石もて追われたルソーが極めて現代的な思想家に見えてくる。



彼が生れたジュネーヴでは、この機会に催し物を用意している。

2012 Rousseau pour tous



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