jeudi 26 janvier 2012

科学の普及、あるいは何を伝えるためにどう話すのか


Dr. Marc Daëron (Institut Pasteur)


相変わらずのお天気である。

今日はマルク・ダエロンさんのお話を聴きに出かける。

こちらに来る切っ掛けになる言葉が、東京を訪れていた彼の口から出たのはもう7年前。

そんなに前になるという感じは全くしない。

今日のお話は善玉にも悪玉にもなり得る抗体について。

流れるように進み、終わった。





急流のようなお話が終わった後、写真右のアン・マリ―・ムーランさんからコメントが出ていた。

科学の内容を一般の人に普及しようとする時、どのようにやるのが理想的なのか。

何を伝えるために、どこまでの内容を、どのような言葉使いで話すべきなのか。

難しい問題である。

研究はされているのだろうが、わたしにはよくわからない。

あくまでも自己流でやってきたというのが、偽らざるところだ。

現場の科学者もそれぞれのやり方でやっているのが現状ではないだろうか。

この辺りの問題はこれから益々大切になりそうである。



会の終了後、デジュネにお供した。

ここでは物理学の哲学をやっている方と一緒になり、貴重な情報を得ることができた。

彼は大学の物理学科所属で、哲学科の人はハイデッガーを読んでいるとのことだった。

フランスでも哲学をどう浸透させるのかが問題になっているようである。

深く考える時間がなくなる社会構造とその営みに価値を置かない社会の風潮。

国により程度の差はあるだろうが、この特徴は世界的な現象なのかもしれない。

この流れに抗することはできるのだろうか。



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