mercredi 15 février 2012

5年前の気持ちの良い講義



こちらの冬は乾燥するが、特に2月は酷い

お蔭様で体に変化が起き、寝られない

寝るのを止め、何気なく開けた最初のブログ「ハンモック」のコメント欄だけを昔に遡る

先日も感じたが、そこで豊かなやり取りが展開されているのに驚く

今回は、こちらに来る前にある大学で行った講義に関するお話を転載したい

興味深いコメントを残していただいた「らっこ」様はもういない

お話が出来ないのは残念至極である

野太い声と人を包み込む様なお人柄を偲びながら、読み直していた



2007-04-11

今日の午後、K大学へ講義に行く。若者に話し掛ける久しぶりの機会である。本題が終わったところで少し時間があったので、ここで止めてもよいかと係の先生に聞いてみると首を横に振っている。それでは、ということで最近よく話すことになっている科学を外から見る視点や人生と科学について10分ほど展開してみた。この話題は話す度に前の話では物足りなくなり、少しずつ膨らんできているようである。そして講義を終えた時に今まで経験したことのない拍手をいただくことになった。そのことにまず驚いた。何に対しての拍手か分からない。最近の学生さんの気質とも思えない。このクラスの特徴なのだろうか。

それから研究室に戻り、コーヒーを飲みながら雑談をしている時、学生が2人入ってきて、講義の資料が欲しいと言う。ここでは今まで資料なしでやってきたが、試験には関係ないと踏んでいたのだろうか、そういう要求が出たことはなかった。そして講義の感想を女子学生の方に聞いてみた。男子学生ははっきりものを言ってくれないからである。すると予想もしない反応が返ってきた。「お話を聞いていて、気持ちが良かったです」。これを聞いて三度目の驚きを味わった。どういう意味なのかわからないが、こういう感想は今までに一度も聞いたことがない。自分の中身が少し変わってきて、それがどこかに表れているということなのだろうか。

今日は私の内の変化は感じることができた。なぜかわからないが、最初から自分の体が熱く、大げさに言うとはちきれそうになっていて、体の内側から外に出ようとする圧力を抑えながら話していることには気付いていた。その圧力の源が何なのかはよくわからない。


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Unknown (yu)
2007-04-11 23:54:11

 同じ話を他の誰かに、2度・3度繰り返していくと自分の中で内容の密度が上がり、どことなく一歩踏み込んだ話が出来るのを、私は感じたことがあります。
 この文章を読んでいると、感覚が優れている方なのだと思いました。
 明確ではないけれども、なんとなく変化を感じれる。このように感覚で判断できる人間というのは、今の日本には少ないのではないのか?と、考えながら読ましていただきました。


yu様 (paul-ailleurs)
2007-04-12 20:47:10

訪問ありがとうございます。人と言葉を交わしている時、あるいは人の前で話している時に、自分がしっかりわかっていないところや論理的につながらないところがほんの一瞬ですが浮かび上がってくることがあります。それを流してしまうか、そこで一度躓いてみるか、これからは躓きながら行きたいと思っているところです。

このことは、頭の中ではわかったつもりになっていることが意外に頼りないものであることを意味しているのだと思います。書き出すだけではなく、言葉に出してみるということがいかに重要かということでもあります。思考はやはり体すべてを使って初めて完成度を増すということでしょうか。


変身? (らっこ)
2007-04-29 04:06:39

Paul さんのブログ、読み出したら止まらないので困っています(笑)。すばらしいですね、深くて。でも明らかに、ある生命体から別の生命体へと「変身」を遂げつつありますよ、Paul さんは!こんなプロセス、滅多にお目にかかれるもんじゃありません。貴重な体験をシェアさせていただいて本当にありがとうございます。これ、あくまでらっこの直感ですが、Paul さん、前世はフランスですね。


ご宣託ありがとうございます (paul-ailleurs)
2007-04-29 14:13:20

丁寧に読んでいただきありがとうございます。自分でも気付かないことが文章に表れているのでしょうか。変身願望は強い方ですので、そのような兆候が見えているということは喜ばしいことに感じています。実のところ、これからどのようになっていくのか、自分でも興味津々です。また訪問いただき、新たなご宣託をいただきたいくらいです。よろしくお願いいたします。


輪廻転生 (らっこ)

2007-04-30 05:35:08

Paul さんがこれからどう変身していかれるのか、らっことしても興味津々です(笑)

昔、パリにオルガン弾きの友人がいました。日本人ですが天才的な男で、パリ市内の二つほど教会のパイプオルガンを任されていました。任されているということは教会の鍵も持っているということで、たまたま教会が休みの日、その鍵で中に入り、彼はらっこのためにパイプオルガンを演奏してくれたのです。観客一人のために。。贅沢な話です。もちろん感激しました。

そのオルガン弾きとある日、セーヌ川の近くの細路地を一緒に散歩していたとき、ある屋敷の門の前でぴたっと足をとめ、「この門は前に見たことある」と言うのです。その細路地は彼も初めてだったので、おそらく déjà-vu ってやつですね。

Paul さんも多分、パリで déjà-vu の経験おありなのでは?


déjà-vu (paul-ailleurs)
2007-04-30 08:40:24

贅沢な経験のご紹介、ありがとうございます。私も向こうの教会の音楽会に行くことがあります。天から降りてくるような音楽に身を晒す楽しみを味わうためではないかと思っています。ところでパリでの déjà-vu の経験を今すぐに思い出すことはできませんが、長い間歩いていると自分がどこにいるのかわからなくなることはよくあります。この感覚は何とも言えないものです。昨年山口を訪れた時、何でもない町並みを子供時代の私が歩いているという感覚に陥りました。déjà-vu だったのではないかと思います。


感覚 (らっこ)
2007-04-30 14:37:42

「天から降りてくる」。。同感です。でもPaul さん、やはり詩人ですね。おっしゃっておられるパリでの何とも言えない感覚、山口での感覚。どうしても理性やロジックを優先しがちな現代人にとって、そういう「感覚」って大切にしたいですね。

今、読んでいる本に『内臓のはたらきと子どものこころ』というのがあります。タイトルからは育児書?と勘違いされやすいですが、そうではなく人間のからだが本来持っている感覚(著者の三木成夫氏はこれを「内臓感覚」と称していますが)の不思議さを説明したとても面白い本です。オススメですよ(笑)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4806745669.html


三木成夫 (paul-ailleurs)
2007-04-30 20:11:20

今の社会の流れは確かに理性やロジックに偏り勝ちですが、存在全体が捉えるものを大切にしたいと思っています。ただ、ロジックに偏りがちとは言うものの、それとて中途半端なものに思えることもしばしばです。こちらを徹底しながら感覚も大切にできないかと考えているところです。大変そうですが。

ところで三木成夫という人の話は面白そうですね。これまでであればほとんど反応しないような内容なのですが、最近はむしろ積極的に、しかし白紙の状態で一度話を聞いてみようか、という精神状態になってきています。ご紹介ありがとうございました。


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