mercredi 29 février 2012

ピーター・メダワー卿の言葉、あるいは論文のいろいろな読まれ方



今日は久しぶりに科学論文を読む
離れていたためか、理解に時間がかかる
と同時に、読み方が変わってきているようだ
科学者であった時は、事実を追って読み進み、その内容を掴むのが第一義だった
それが今では、結果そのものの他に、使われている表現とその裏にある考え方を探るところに目が行っている
そのため、なかなか先に進まない

哲学的研究者であったピーター・メダワー卿(1915–1987)がこのようなことを書いていたことを思い出す

「論文はできるだけ広い読者対象を想定して書くべきです
あなたより優れた人が好奇心を満たすために専門外の雑誌を手にすることがあるかもしれません
そんな時に何が言いたいのか理解されなければ、折角の機会を逃すことになるからです」

内輪向けにしか書いていなかった若き日、科学の奥深さを感じたものである
今のわたしは、この言葉にある専門外の論文を手にしている好事家のようなものだろうか
著者より優れた人ではあり得ないが、、、

メダワー卿の言葉をこんな形で理解できるようになるとは・・・
巡り巡って予期せぬところに辿り着いたというこの感覚、嬉しいものである




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