lundi 19 mars 2012

時間を追いかけてきたジュリアン・バーバーという科学者

Lunatique neonly no 1 (1997)


わたしの理想とする研究生活を送って来られた科学者がいることを知る
その名はジュリアン・バーバーさん(Julian Barbour, 1937-)
今年75歳になる理論物理学者だ(ホームページはこちらから)
1999年のインタビュー "The End of Time" を読んでみる

バーバーさん独特の世界観と人生観が見えてくる
インタビューの時点で35年の研究成果は、この世界には今考えられているような過去も未来もなく、あるのは現在だけというもの
リー・スモーリンさん(Lee Smolin, 1955-)は、彼こそ真の科学者にして哲学者だと言っている

研究スタイルもユニークである
大学をイギリス、大学院をミュンヘンで終えた後、インディペンデントな立場で研究を続けて来られた
アカデミアに入り、コンスタントに論文を書くというタイプではなかったことが理由とのこと
自分の中から出てくるアイディアについて、どこからのプレッシャーも感じることなく研究をしたかったのだという
同じくイギリス人のダーウィンが30代にしてケント州ダウンに引き籠り、研究に打ち込んだ姿を思い出す
ダーウィンには財産があったが、バーバーさんの場合はロシア語の翻訳で生計を立ててきた
一人で研究できる領域にいたならば、わたしもそういう道を模索したかもしれない

彼の興味は、宇宙とは何であり、それはどのように動いているのかという根源的な問である
古典的物理学と量子力学との関連を探る中から辿り着いたという
その中で、特に時間について考えることにしたようだ

彼のホームページに紹介されていたビデオを見ることにしたい





このビデオで言われていることのすべてを理解できたとは思わない
ただ、ぼんやりと見えてくるその主張にはそれほどの違和感は抱かなかった
そして何よりも、ジュリアン・バーバーという存在の明晰さ、快活さ、軽快さに目を見張る

時間には、周囲とは関係なく過去から未来に向かって規則正しく流れるニュートンの絶対的時間とアインシュタインの相対性理論が唱える時間と空間が一体となり、空間の影響を受ける相対的時間がある。量子力学の世界ではニュートン的な時間が流れているという。ミクロの世界で有効な量子力学の理論とマクロの世界で有効なアインシュタインの相対性理論を統合する理論を求める営みがされているが、そこで問題になるのが時間であり、時間の消失が統合の一つの解決になる。バーバーさんも時間は存在しないという立場を採っている。

「いま」という時間を捉えることができるのかという問を出し、こう考えている。マクロの世界では、ある一瞬に大きな変化は見えないので今を捉えているように感じるが、ミクロの世界に入ると原子や分子、細胞に至るまで何一つ留まっているものはない。つまり、「いま」という一瞬を捉えることが極めて難しいことがわかる。一瞬たりとも同じわたしであることはないのである。「いま」という一瞬は一瞬であると同時に、そこでは何も変わらないという意味で永遠でもあるという。

一瞬一瞬はそれ自体で完結した世界であるという見方は、どこかに向けて進むモメンタムのないエネルゲイアに繋がるようにも見える(エネルゲイアをわれわれの生に取り込む 、2010-1-2)。どこかに向かう所謂仕事をしている人がその境地に達するのは非常に難しい。仕事を拒否してきたバーバーさんであればこそ、はっきりと理解できたであろうことは同じような境遇にいる今の私には容易に想像できる。また、一瞬のすべてが同時に存在しているという点で、量子力学の統計的にしか決めることができない世界、さらに言うと、すべての可能性が同時に起こっている世界とも共通点があるようにも見える。

これを日常の感覚で理解することは大変である。しかし、この地球が自転し、さらに太陽の周りを回っていることを日常感覚で捉えることができますか、と問われれば、ミクロの世界で起こっているとされるものを真っ向から否定することもできない。一瞬一瞬が閉じ込められた多くのスナップショットを示しながら、これらすべてがわたしの宇宙だと説明しているのを聞くと、全く考えられない世界とも思えなかった。

このインタビューからかなり時間が経っている。
その後の進展を知りたいものである。

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なぜバーバーさんの考える時間にあまり違和感を感じなかったのだろうか
そんなことを考えている時、ヒントになる記事を書いていたことを思い出す

ひとつは、過去にあったすべての自分を現在に引き戻し、そのすべてとともに生きるというものだ
そこではいわゆる古典的な時間の流れは考えているようだが、それを超えて生きようとする姿がある
丁度、これまでのスナップショットを現在のスナップショットとと一緒にその辺りに並べている印象がある
これまでは深く沈んでいたように見える過去を現在と同じ平面に置き直すと言い換えることもできる

過去の自分を現在に引き戻す VIVRE AVEC LE MOI DU PASSE (2007-01-30)

これは過去と現在の関係だが、現在と未来との関係についてもこんなことを書いていた
ある日、写真を撮るのは現在というよりは未来の自分に向けてのメッセージとしての意味合いがあることに気付いた
つまり、未来が現在になった時、「いま」(その時には過去)撮られたスナップショットが並べられることになる
過去、現在、未来が密に繋がり、恰も一体になっているような世界なのである

時空を超えたやり取り ECHANGE AVEC MOI DU PASSE OU FUTUR MOI (2006-10-14)

バーバーさんのビデオが写真を撮っているところから始まった時に不思議な感じがしていた
それは、彼の話がそれほど違和感のないものになるのではないかという予感のようなものだろうか
こうしてわたしの過去を現在に引き戻してみると、益々彼の時間の考えに近いことがわかってくる
このように過去が蘇る時、いつものように微風が頭の中を吹き抜ける



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