samedi 24 mars 2012

誤謬を待つ心



パソコンのキーを打ち間違える
不思議な文字が現れる
ネットのサイトに間違って入る
思わぬ世界が現れる
道をどんなに進んでも目的地に辿り着かない
見ることのできなかったものに触れていたはずだ
こんなことは稀ではなくなっている

どこかに向かっている時にはこれらは忌むべきことだった
苛立つこともあっただろう
できるだけ早く目的地に到着しなければならなかったからだ

それが今ではどうだろう
間違いは思いもかけない新しいところに導いてくれる扉になっている
日常に潜む割れ目の外を覗くという感覚を運んで来てくれる
自分の中からではなく、どこかから飛び込んでくる創造的な瞬間だ、と言えば大袈裟だろうか
喜ぶべき瞬間になっている


ここまで書いたところで、もう6年ほど前の講演会のことを思い出した
こんな言葉に惹かれて、土砂降りの中、会場に向かった
「科学、哲学、政治、文芸批評、絵画などの分野において、誤解が実りをもたらすことを示したい。嘆かわしいのは誠実さや賢明さで、それらは退屈や予想できること、反復や言い換えにしか導かない。誤謬こそ幸福で、豊穣で、活力に溢れている。」
ブリュノ・クレマン 「誤解礼賛」  "A MALENTENDEUR, SALUT !" (2006-10-5)


それまでは避けるべきだったものが、今ではどこかでそれを待っているようにも感じる誤謬
取り巻く状況が違ってきたためだろうが、喜ばしい変化に感じている




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