jeudi 19 avril 2012

旧交を温める


渡辺昌俊氏 (日本パスツール協会


日本での仕事を辞めるまでの2年ほど、日本パスツール協会のお手伝いをしていたことがある。フランスのパスツール研究所から出されるプレスリリースの翻訳である。それからパスツール協会から出すことになったルイ・パスツールの伝記DVDの翻訳も苦しみながらやったこともある。

ところで、どういう経緯で協会とのお付き合いが始まったのか、すぐに思い出さない。こういうときに有効なのが外付けメモリーとしてのわがブログである。早速「ハンモック」に当たってみたところ、こちらの方から接触を図っていたことがわかり、驚く。経過はこんな具合だ。

2005年6月から7月にかけて、パリのパスツール研究所に滞在した。その時のホストがここで何度も取り上げているマルク・ダエロン博士であった。彼が何気ない会話の中で、日本にパスツールの支援組織ができたので関わってみてはどうかと勧めてきたのである。早速、研究所の関連部署に問い合わせを出したところ、日本の代表者から丁重なフランス語のメールが届いた。それが渡辺様で、日本に帰ってから面談することになった。経緯は下の記事にある。


それから渡辺様が私の働いていた研究所まで来られて、話し込むことになった。詳細は以下の記事にある。



今回はお忙しいスケジュールの中、わたしのために昼食の時間を割いていただいた。フランスの銀行でおそらく10年以上仕事をされた経験があり、77歳の今も大半がボランティアのお仕事を精力的にされている。その中心は日仏に関連した会をオーガナイズしたりそれを支えることで、パスツール協会だけではなく、いろいろなところにアンテナを張っている様子が伝わってきた。現在抱えているプロジェだけではなく、将来の夢を持っておられるあたりが若さの秘密になっていると見た。また、フランスが長く日仏文化比較の目をお持ちなので、参考になるお話がたくさん出ていた。わたしが「科学から人間を考える」試みのことをお知らせした時には、案内をフランス関係の雑誌にも出してみてはどうですか、というサジェスチョンをいただいた。アテネ・フランセまでは考えたが、その先には考えが及んでいなかったので新鮮であった。これからもお元気でご活躍いただきたいと思っている。
 



夜はボストン時代からのお付き合いになるK氏と夕食を共にした。もう30年以上のお付き合いになる。今回は、数年前にご夫妻でパリを訪問された時以来になるだろうか。今は若い人を支えるような仕事をしながらご自分の研究を進めているようであった。若い時代を知られていると、気楽に話ができるところがある。それはおそらくよいことなのだろう。



Aucun commentaire:

Enregistrer un commentaire