dimanche 7 octobre 2012

ヴァレリー・ゲルギエフさんのシマノフスキとブラームスを聴く


昨夜は久し振りのサル・プレイエルSalle Pleyel

 ヴァレリー・ゲルギエフさん(Валерий Гергиев / Valery Gergiev, 1953- )のコンサートを聴くためである

彼の演奏を生で聴くのはこれが初めて

一度聴いてみたいと思っていたので、案内が来た時にすぐに予約していた

その日が教授とのランデブーの翌日というタイミングになろうとは

しかもおそらくこれまでに経験がないステージの後ろの席であった

演奏はロンドン交響楽団London Symphony Orchestra

ゲルギエフさんは、2007年から首席指揮者になっている


プログラムは

カロル・シマノフスキ(Karol Szymanowski, 1882-1937)の交響曲第1番とヴァイオリン協奏曲第1番

ヴァイオリンはオランダの若手ジャニーヌ・ヤンセンさん (Janine Jansen, 1978-)

後半はブラームス(Johannes Brahms, 1833-1897)の交響曲第1番


今年はシマノフスキが生まれて130年、亡くなって75年になる

その記念にブラームスと一緒にチクルスをやることになり、昨日はその初日だった

シマノフスキの曲を聴くのも今回が初めてである

Conférence d'avant-concert 
M. Didier van Moere


数日前のこと、コンサート前のカンファレンスへのお誘いの連絡が入り、参加することにした

 こちらも初めての経験になる

お話は、シマノフスキの伝記を物している音楽研究家で批評家でもあるディディエ・ヴァン・ムールさん

今回のプログラムに解説も書いておられる

シマノフスキ音楽の特徴とその音楽が生まれた背景や他の作曲家との関連などを紹介

 その後に音楽を聴くというスタイルであった

何も知らない作曲家だったので、お話を聴いた後は少しだけ近くに感じるようになっていた

分析しているご本人も同じヨーロッパ人なので、対象を自分のすぐ横にいるような感覚で捉えているように見える

日本ではこのような状況はなかなか望めない

こちらで感じるこの近さは対象の理解にも影響しそうな気がしてくるが、どうだろうか



コンサートを舞台の後ろから聴いていると、自分が舞台に上がって演奏しているような錯覚に陥る

その昔が蘇るようでもあった

近未来のわたしの髪型をしているゲルギエフさん、つい親しみを感じてしまう

タクトなしでやっているのかと思いきや、よく見ると爪楊枝を持って指揮していた

もちろん、爪楊枝ほどの長さのものという意味である

あれではなくてもよさそうだが、ないとしっくりこないのだろう


シマノフスキという名前からは、どこか弱々しそうな、影のような音楽が出てくるのではないかと思っていた

ところが、交響曲第1番はダイナミックで、しかも粘り気のある曲の流れであった

そして、オーケストラがよく鳴る力強い音楽でもあった

ヴァイオリン協奏曲第1番も同じように濃密で執拗な流れがある

ムールさんの解説によると、ヴァイオリンとオーケストラの融合を目指したもの

しかし、ヴァイオリンはあくまでもオケの上にあるというイメージ

超絶技巧を要するというよりは、感情を長い間持続させて歌い上げなければならない曲のように感じた

ヤンセンさんの演奏は好評で、拍手が鳴りやまず

結局、コンサート・マスターとのデュオで答えていた

この間、 ゲルギエフさんは舞台の後ろの方で聴いていた

これは指揮者の作法なのだろうか、印象に残った

初めてのシマノフスキの音楽

ぼんやりと想像していたさらさらと流れる小川のような音楽ではなく、粘液質の激しさを込めたものであった

残念ながら、今回はメロディーがわたしの中で響き渡ることはなかった

もう少し付き合いを深めないと、それは望めないのかもしれない
 

ブラームスも素晴らしい演奏で、圧倒的な最後であった

重量感を感じる指揮で、満足する

ただ、これほど長い曲に感じたことはこれまでなかったのではないだろうか




ところで、昨夜は最後にもう一つ驚きが待っていた

雨に降られながら最寄りのエトワール駅へ急ぐ

駅の中に入ろうとしたその時、後ろから「ムッシュー」と呼び止める声が聞こえた

振り返ると紳士がいるが、誰かはわからない

その紳士がこう話しかけてきた

「先ほど写真を撮っていた方ですね」

すぐにはピンとこなかったが、カンファレンス前に写真をお願いする旨話していたことを思い出す

講師を務めたムールさんだったのだ

写真をどのように使うのかを知りたかったとのこと

この記事に使うことを告げ、お互いの情報を交換して別れた

それにしても、何という偶然だろうか




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