vendredi 22 mars 2013

仙台の夜に一つの終わりと新らたな出発を祝う

田村眞理先生ご夫妻 (東北大学)


今日は仙台まで足を伸ばした

この3月で大学を退職になる田村先生の祝賀会に参加するためである

同じ研究領域だったので感慨深いものがある

それは時の流れの速さと密接に繋がっている

この人生が実に短いものであること

そして、その生の中で何をするのかという大問題にも繋がる



それとは別に、多くの研究仲間と顔を合わせる幸運に恵まれた

緒方正人(三重大学)、 野田昌晴(基礎生物学研究所)、的崎尚(神戸大学)、渡邊利雄(奈良女子大学)の各先生


冒頭、会の趣旨を説明される小林孝安先生(東北大学)


 田村先生の業績とお人柄を紹介される宮本英七先生(熊本大学名誉教授)


 兄弟子として研究生活の思い出を語られる菊池九二三先生(北海道大学名誉教授)


諸先輩に混じり、わたしも一言お祝いの挨拶をさせていただいた

そこで触れたことは、このブログでも何度か取り上げた生きるということについてである

「生きるということ、それは詩的に生きること」

「人生を詩的にすること」

そして、「この生の一瞬一瞬をインプロヴァイズすること」 がそのエッセンス

それが可能になるのは、残念ながら仕事から離れた時である

 これからの豊かな時間を願いながら、ほんの少しだけの先輩として話をさせていただいた



わたしのテーブルの周りの景色はこんな具合であった

 野田先生、畠山昌則先生(東京大学)、的崎先生、緒方先生


前濱朝彦(国立感染病研究所)、前田達哉(東京大学)、乾誠治(熊本大学)、鈴木聡(九州大学)、中釜斉(国立がん研究センター)の各先生


わたしは二次会までお付き合いさせていただいた

前列: 島礼先生(宮城県立がんセンター研究所)、野田先生
後列: 的崎先生、前田先生


 これだけの先生からざっくばらんな人物評をいただくと、自らの姿が立体的に浮かび上がってくる

それが自ら描いていた像と如何に乖離しているのかには驚かずにいられない


若者の中には閉塞感が充満しているという話も出ていた

 おそらく、真理は多数決からは生まれないはずである

多数に倚りかかることで人間は容易に考えなくなる

その状態に慣れると、居心地がよいらしい

しかし、そこからは何も生まれてこないだろう

一人一人の生命の迸りがないところに創造はないだろう

そうなるためには、生命の迸りが抑制されない環境を作る必要がある

しかし、そのことについて語ろうとする大人を見かけない

結局のところ、大人がその居心地の良さに安住しているのかもしれない


二次会ではわたしの盲点を突くようなサジェスチョンをいただいた

わたしの生理に反することなので、これまでは視野に入らなかったことである

どのようなことになるのかわからないが、一つのオプションに入れておいても面白いかもしれない




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