samedi 15 juin 2013

ピエール・ゴルシュタインさんのセミナーを聴きながら


一昨日、マルセイユの免疫学者ピエール・ゴルシュタインさんのセミナーを聴く

Pierre Golstein (Centre d'Immunologie de Marseille-Luminy)

T細胞による殺傷機構や細胞死について長い間研究されている

研究領域が違うこともあり、直接お話を聴くのは初めてになる

タマホコリカビ Dictyostelium discoideum)を使って、発生、細胞死、免疫などについて解析していた


イントロでは、研究を始めることだけではなく、研究所を創る過程についても話をされていた

マルセイユの研究所の創設に関わっただけではなく、今はインドの研究所の立ち上げにも関わっているからだろう

それから、研究のモデルを選ぶということについて話題にされた

まさに、モデルを選ぶということを哲学する、という風情であった

この地上には真核生物だけでも1000万に及ぶ種が存在しているという

それにもかかわらず、主要な研究対象は10種程度である

つまり、研究者が研究対象を選ぶ時に、考えていないという主張である

あるいは、そもそも研究モデルを選ぶというその発想自体が頭にないということである

研究を始めた研究室で偶然に使われていた動植物をモデルにしているだけではないかというのである

わたしが言うとすれば、ヒラリー卿よろしく、「そこに・・・があったから」 に過ぎないことになる

研究者が意識的にモデルを選ぶとすれば独立した時であるが、モデルを変えることはほどんどない

モデルの選択ということを考えていないこともあるが、変えることには危険が伴うと直観的に感じていることもあるだろう

ご自身は、長い間マウスを使っていたが、考えて今のモデルに切り替えたという

細胞死にはアポトーシスネクローシス以外にもいろいろな型があるはずだと考えているからだろう


お話を聴きながら感じていたこと

まず、言葉を正確に使おうとしていること

それは、思考を正確にしようということである

さらに、事実を語るだけではなく、常に考えるためのクッションが置かれているとでもいうべき精神の状況がある

こちらに来た当時の身で聴いたと想像してみると、日本では見たことがない科学者だという感想を抱いただろう

「フランス的な」 科学者などと言うことには問題があるのだろうが、そう言いたくなる衝動に駆られる

哲学的だ、とは言えそうだが

上滑りなところは微塵もなく、どこまでも落ち着いている

別の言い方をすれば、大人に見えるのである

フランス、あるいはヨーロッパの科学の歴史が滲み込んでいることを感じさせる

普段は1時間半のセミナーだがこの日は3時間にも及び、流石のフランス人も終わりの時間を確認していた

研究成果そのものよりも研究や科学をどのように考えるのかについて、多くのことを考えさせられる時間となった




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