vendredi 23 août 2013

休みを取ること、考えること、そして懐かしさが繋がる


昨日は朝から用事で街に出る

銀行のようなところでも日仏文化比較などの会話ができる

日本では仕事に関係のない話題について個人的な意見の交換などできないだろう

仕事で相手に対している時は、自らを殺し、ある型の中で動いているように見えることが多い

こちらの様子を見ていると、公的な時にも個を出すことには抵抗がないように見える

人間がいつも生きているように見えるのだ
 
因みに、彼女が1か月のヴァカンスから帰ってきたというところから、そちらの話題に入って行った


話をしながら考えていた

1か月の休みを取るということは、まさに日常から離れること

忙しく動いている時には難しいだろういろいろなことに思いを巡らす時間が与えられることを意味している

そこでは抽象的なことにも目をやる余裕ができるだろう

自らと対話する時間も必然的に増えることだろう

敢えて言えば、哲学する時間がそこにできることになる

日本には、忙しく動いていることが充実していることであり、望ましいという文化があるように見える

日本が考えていないように見えるのは、休みも取らずに忙しくしていることが関係しているのではないか

兎に角、考えるためには心の余裕が生まれる無為な時間が必要になるからだ

この話題、前夜日本からパリに立ち寄った方との話にも繋がる



 ところで、銀行では懐かしさを呼ぶ言葉と出会った



それから興味深い繋がりが現れた

用事を済ませた後、割と気に入っているリブレリーへ

そこでバルバラ・カッサン(Barbara Cassin, 1947-)という初めての方の本を手に取った


その中に、昨日取り上げた先日観たばかりのハンナ・アーレント(1906-1975)さんのインタビューのことが出てくる

また、僅か28歳で亡くなったノヴァーリス(1772-1801)のこんな言葉もあった

 「哲学は、厳密に言うと、郷愁である

それはあらゆる場所を自分の家にするように駆り立てる何かである

哲学するわれわれが自分の家の外のあらゆる場所にいる時にだけ、哲学が哲学たり得るのである」

哲学とは、つまり、この世界の全体と常に一体になっているということなのか

その全体に向けての運動が哲学であり、そのモーターが郷愁ということになるのか


自らを振り返ってみる

そこには人類の営みのすべてに対する想いが見えてくる

このところ感じていたのは、この世界には人類の営みの蓄積しかないということである

 その全体に対する強い想い

それを郷愁と言ったノヴァーリスの慧眼に感心する


それだけではなかった

帰って調べると、以前に読んだアラン・バディウ(1937-)さんとの共著があることがわかった


 何とも嬉しい発見であった




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