vendredi 3 octobre 2014

エピジェネティックスから科学と形而上学へ


昨日と今日はエピジェネティックスについてのワークショップへ


若い哲学研究者が中心で、数名の最先端の生物学者が加わっていた

哲学者の興味は言葉の中身、定義へと向かいがちである

それは重要なのだが、科学は定義なしに「こと」を進めることができる

どれだけの科学者がこの作業に興味を持つだろうか


エピジェネティックスはラマルク的か、という問いがある

今明らかにされていることをラマルクが言っていたわけではないという意味で、答えはNOだろう

現象面では類似しているのだが、、

ラマルクという言葉が出てくるように、科学の成果を歴史に照らして検討することの意味は大きい


エピジェネティックスはパラダイム・シフトを起こしているのか、という問いもある

さらに、「遺伝子なき遺伝」という言葉も踊っている

遺伝子はタンパクをコードするDNAの断片と定義されてきた

DNAの配列に依存しない遺伝も明らかになる

しかし、それは遺伝子があってのことである

「遺伝子なき遺伝」はありえないし、パラダイム・シフトを起こしているということもない

ただ、メンデルの遺伝学を豊かにしていることは確かである

そんなところが現状認識になるだろうか


遺伝子産物の発現に関与するすべての要素を含めて遺伝子と定義したいとする意見があった

ジャン・ドイチュ博士の提唱で、博士はそれを「パンゲン」と名付けていた

この名称について疑義を差し挟んだことは、以前に触れた


偶然にも博士が横になったので、その後の経過を訊いてみた

そうすると、新しい「パンゲン」のアイディはなかなか受け入れてもらえないとの返答であった



今日のデジュネはMD氏と一緒だった

話題は、新しく出たエッセイのテーマと同じ科学と形而上学

なかなか良い話ができたと思う

わたしは科学の成果から出発して形而上学の世界に飛び出したいと思っている


一方のMD氏は、科学から形而上学を一掃したいと考えている

彼の言う形而上学とは、自然界には実体がないもので、言葉だけの世界を指している

もしそうだとすると、科学で使われている言葉のかなりの部分は形而上学の世界に属することになる

それを一掃することなどできるのだろうか

おそらく無理だろうと彼も思っている

その場合は、そういう曖昧なものを扱っていることを科学者が意識する必要があるという

ご本人は、それを科学者に意識させるようにすることが大切だと考えている


わたしの形而上学は科学の成果の先にある想像の世界になる

科学から離れることなく、その世界に新しい光を当てることができないだろうか

そうすることによって、「もの・こと」をより深く理解できるような光の当て方ができないだろうか

そんな問題意識を持っている


今日意見の一致を見たのは、次の点だった

哲学が自らの中に籠もり、そこでの満足を求めるところに留まるのを止めること

そして、多くの科学者が納得する形で科学にフィードバックができるようなやり方を模索すること

今の状態では科学者は哲学の言うことを聞くことはないだろう

もったいない話である

科学が気付いていないのだから、哲学の側からの働きかけが問われることになる

Philosophy of scienceではなく、Philosophy for scienceの視点を採ることができるかどうか

そこが問われるだろう

そう言っている哲学者もいる


このような考えになるのは、お互い科学から出発して哲学に入ったからだろう

科学への働きかけが常に意識にあるからだろう





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