dimanche 29 juin 2014

全体の流れの中で、大きな転換点になるのか


金曜はこれまで考えてきたことを発表することができた

纏まったのは発表1週間前

科学における形而上学をどう考えるのかがテーマだった

科学の場に形而上学を必要としているかという問いに対し、肯定的な答えと問題点を指摘するもの

形而上学などという訳のわからないものは必要なし、とするのが科学の側の反応だろう

そういう前提で、まず形而上学が科学においてどのようなことをするのか

さらに、今の科学と形而上学が乖離した状態をどのように改めるのかという視点で話を纏めた

日本国内ではいろいろな場で発表してきた内容が骨子になる


確かに、形而上学は殆どの科学者の頭の中にはない

しかし、この会は形而上学に興味を持ち、その領域で仕事をしている人の発表の場である

これまでも科学と形而上学は片思いの関係にあると言ってきた

つまり、形而上学の方はいつも科学を観て考えている

ところが、科学はその存在を気にも留めず、深く考えることなく捨て去っている

哲学者の方はこのような現状は知ってはいるが、とにかく目の前の専門の中で仕事を進める

専門家としては当然のことだろう


わたしの意識はいつも両者のインターフェースにあり、現状を何とかできないかという立場になる

ただ、このような会に参加すると、専門の中で考えを進めなければ、という気持ちが強くなる

また、これまで考えてきたことが、より深まったようにも感じている

 気分が重かった6月27日だったが、終わって開けてきた景色はこれまでと一変している

 隠居の状態から抜け出ようという年頭の一瞬の決断が鍵になっていることが見えてくる 

なぜそんなことを考えたのか、実に不思議である

会終了後、雨のリールのカフェに落ち着き、「こと」の全体を振り返っている時こんな考えが巡っていた


雨が小降りになった頃、カフェを後にしてリールにあるパスツール研究所へ向かった

 そして、リール美術館

途中から土砂降りになったが、着いた先では二度目の空間を十分に楽しむ












vendredi 27 juin 2014

ディナーの席でダイナミックな人の流れを感じる

 Daniele Cozzoli、Silvia de Bianchi、Luca Tambolo、Silvia Caianiello の皆さん


昨夜は学会のディナーであった

少し迷ったが、案内の方がレストランの前にいて助かった

テーブルは偶然にも4人のイタリア人と一緒になった


左のダニエルさんは現在はバルセロナの大学で研究

シルヴィアさんはパリにいたこともあるようだが、今はロンドンの大学で研究

彼女は若い時に日本語に興味を持ったというだけあり、全くアクセントのない日本語を話す

そこまでになると日本人的な感覚が通じるようで、言葉はまさに恐ろしきものという印象だ


ルカさんはトリエステの大学で科学の哲学と歴史を研究中

トリエステと言えば、10年以上前にクロアチアの友人を訪ねる時に立ち寄ったことがある

懐かしい響きだ

10年前のクロアチアへタイムスリップ (2011-05-08)

訪れたリエカはその昔イタリア領で、20世紀に入ってから一時イタリアが占領したという

今回初めて知った話である(詳細はウィキで)


そして、右端のシルヴィアさんはローマをベースに研究中

昨年モンペリエであった学会の野外パーティでもお話した記憶が蘇った

 彼女の方も覚えてくれていた

日本とイタリア、さらに世界情勢についても話が盛り上がった

彼女が10代前半の時、父親の仕事の関係で小田原に2カ月滞在したことがあるという

話してみなければ、その人間の過去はわからないものである

 良い記憶しか残っていないが、お寿司だけは受け付けなかったとのこと

その後、ヨーロッパで味わうことになったらしいが、その時は抵抗なかったという

イタリアを訪問するとしたらどこかと尋ねたところ、ほとんどすべてとの答えが返ってきた

その中でも、と聞き直すと、いくつか挙げてくれた

ルカさんからは、例えばフィレンツェであれば2週間は必要という何とも贅沢なアドバイスをいただいた

Vera Matarese さんと Valeriya Chasova さん


暫くすると、隣のテーブルから、日本人ですかとヴェラさんが声を掛けてきた

彼女は現在香港大学で研究中とのことで、東洋人に反応したのだろうか

おそらく、大学では唯一人のイタリア人ではないかとのこと

立ち居振る舞いがヨーロッパの4人とは違い、しっとりしているように感じたのは気のせいだろうか

そして、ヴァレリアさんはロシア出身で、現在はベルギーはルーヴァン・ラ・ヌーヴで科学哲学を勉強中

眼鏡を取ったお顔が好みのようであった

それから思わぬ繋がりがあったことを彼女からのメールで知った

昨年6月、パリで開かれた医学哲学の会に参加したことはここでも触れている

 「医学の哲学」 の会議で、改めて 「考えるということ」 を考える (2013-06-20)

当時パリ大学に在籍していた彼女もこの会に参加していたというのである

 本当に世界は狭い

 こうしてみると、目まぐるしく人が移動しているのが分かる

それは気持ちの良い景色に見えた


全体的に纏めるとすれば、イタリアン・パワーに圧倒された一夜ということになるだろうか



最終日の今日は発表があり、いろいろ考えさせられることがあった

それは明日以降に纏めることにしたい

午後は雨に降られた

帰りのTGVは1時間のところが20分遅れでパリに到着

今回は人間が線路に入ったのが原因とのアナウンスがあった

示威行為だという

まさに何でもありで、楽しくなる

日本であればちょっとしたニュースになるのではないだろうか


パリ北駅に着くと後ろから呼び止める声が聞こえた

振り返ると、ダニエルさんとシルヴィアさんのお二人

ブログに記事を書いたので、シルヴィアさんに訳してもらうようにダニエルさんに伝える

今回最後の驚きであった





jeudi 26 juin 2014

言葉と論理のロゴスの世界での一週間か


 仕事に集中している状態と言うのは、今週のような状態を言うのだろう

隠居をやっていれば朝からゆっくりできるが、そうはいかず言葉の嵐の中に置かれる

そのため詰まらないことに時間が割かれることなく、仕事のためになることだけに集中できる

しかし、それを繰り返している日常の中では、目に入っていない「もの・こと」があることに気付かなくなる

これが現代人の病理の大きな原因の一つになるだろう

それは、そこから抜け出なければ気付かないことなのである


 今日の会場は、リール第一大学に変わった

こちらは科学・技術をカバーしている

今日も終日、言葉と乾いた論理の中にいた

その枠の中での言葉になるので、われわれの思考とは明らかに異なっている

彼等は意識していないだろうが、われわれとのギャップの大きさには驚かざるを得ない

日本の同じような会には参加したことがないが、ヨーロッパの特徴と言えるのではないかと想像している

外国人のいるセッションは英語でやっているが、その精神には変わりがない

言葉だけの習得で解決できる問題ではないことが分かる



ソクラテス以来の西欧の伝統が滲み込んでいるのだろうか

それは対話を介してより確かなものに辿り着こうとする営みと言ってもよいものである

相手のことをどう思っているのかは関係ない

にこやかな顔を作るのは、相手に対する扉を開けていることを示すものなのだろう
 
相手の話を聞き、それに対する自分の考えをはっきり伝え、誤解がないように努める姿がある

そういうエチケットのようなものが身に付いている


医学哲学のセッションの後でのこと

発表していた若いフランス人の院生と医師に声を掛けてみた

そうするともう止まらない

患者という医療の対象と主観を持つ人間としての二つの顔、そしてその融合

臨床現場における倫理的配慮の重要性とそのことに感受性のない医者

人文科学の重要性は理解しているが体系化がアメリカに追いついていない医学教育などなど

それは作ったものではなく、おそらく普段から彼らの中で蠢いているものなのだろう

言葉が体の中から迸り出ている

人間と言葉が がっちりと結びついているのが分かる





mercredi 25 juin 2014

情報の波が体の中に流れ込む


 朝、カフェでプティ・デジュネを取ってから、リール第三大学シャルル・ド・ゴールに向かった

 リール駅から10分ほどなので快適である

この大学は人文・社会科学をカバーしている

最初、会場が分からず、同じく迷っていたポルトガルから参加した方と一緒に探す

それらしい部屋があったので入ったが、話が大学の教育のことを話している

それでも会が始まる前の連絡会だと思っていた

ポルトガルの方はフランス語が全く分からないとのことで、疑うこともなく暫く留まっていた

 お互い初めての参加だったこともあるだろう

それにしても思い込みとは恐ろしいものである
 

開会講演をするクロディーヌ・ティエルスラン教授 (コレージュ・ド・フランス)


会はこのブログでも何度か取り上げたことがあるティエルスラン教授の講演で始まった

演題は 「形而上学と科学」

講演はいつものように原稿を読み上げるスタイルで、難解である

科学の形而上学についてぼんやりしたイメージを持とうとしたが、さらに混沌としてくる感じだ

その後のセッションでも同様の印象

最初から「科学の形而上学」と言われる領域の中の話になるので仕方がないだろう

専門家の集まりである


今週は月曜からお構いなしに情報が外から流れ込んでいる

 体の中が自分ではないように感じる

それはそれで捨て難いところがある

この状態はわたしがこちらに来た当初から感じていたものと繋がっているのかもしれない

 ただ、専門家は適宜取捨選択しながら聞いているのではないかと想像している

 それでなければ自分の仕事に集中できないからだ


会から戻って来るメトロの中でのこと

自分は仕事はしていないが、敢えて名乗るとすれば何になるだろうかという声が聞こえた

そこで浮かんで来たのが、"Un observateur du monde"(世界の観察者)

ここで言う世界とは、地球の上の国々や自然と言うよりは身の回りの世界という意味合いが強い

まだ、静的な生活が続いているようである





mardi 24 juin 2014

リール到着


今日も一日ソルボンヌで過ごした

昨日と同様、激しい個のぶつかり合いがあった

先日のボルドーで出会った若者の言を俟つまでもなく、「こちらはコンフリクトの文化」ということだろう

免疫学と哲学に絡む活動についても考えさせられることがあった

いずれ書くことがあるだろう


夕方、明日から始まるフランス科学哲学会に参加するためリールに到着したところ

この町は昨年秋に次いで二度目だが、学会は初めてになる

 今年のテーマは 「科学の形而上学」

形而上学という言葉に惹かれたのか、今年は冷や汗をかく年にしたことが関係しているのか

素人が出る幕ではないと思ったが、専門家に向けて初めて話すことになった

研究というよりは経験談という内容で、無謀と言うしかない

それはさておき、科学と形而上学について考える時間となることを願っている






lundi 23 juin 2014

「自己」の定義の現状を聴き、日本からのお客様とソルボンヌ図書館へ


本日は一日ソルボンヌのリシュリュー講堂にいた

免疫学と哲学に関する国際シンポジウムを聴くためである

テーマは、免疫学が「自己と非自己の科学」と言われて以来問題になっている「自己」という概念

怒鳴り合いの意見交換もあり、興味深い一日であった

明日も続きがある

内容については、いずれ機会を改めて書くことがあるかもしれない


森望先生 (長崎大学)


今日はソルボンヌの図書館を見学したいという日本からお客様を迎えることになっていた

長崎大学付属図書館長をされている森先生である

今調べたところ、6年前にパリを訪問されている


時の流れは本当に速い


上のシンポのため、お昼休みの2時間だけの忙しない対応になった

先日問い合わせのメールについて触れたが、返事がなかったためぶっつけの訪問となった

 受付で再度責任者に連絡を取ってもらったが不在

結局、わたしが5年ぶりに再登録して、一緒に入ることになった

雰囲気のある館内に満足されたことを願うばかりである




samedi 21 juin 2014

時間を掴みながら歩いている感触


今週も終わりを迎えた

これまでになく充実した一週間であった

それは時間をしっかりと掴みながら歩むことができたという感触である

最近ではこのような感触を得た記憶にない

近くの公園ではアメリカの音楽のコンサートをやっているらしい

大きな音が流れてくる




mercredi 18 juin 2014

空の綿飴に手を伸ばし、久しぶりにソルボンヌ図書館へ


 このところ頭を悩ませていた考えをひとまず纏めることができた

あくまでも自分の頭の中を纏めただけである

これから他のものと突き合わせて議論できればと考えている

しかし、どこまでできるのかは神のみぞ知るである

もっと早くからやっていればよいと思うのだが、いつものことでなぜかそれができない

それで苦しむことになる

学会に発表するなど初めてのことなので、それに値するのかどうか自分でもわからない

この領域を勉強し、皆さんの批判を聞く機会になればよいという気分に落ち着きつつある


ということで、ひとまずの区切りがついたのか、お昼は空を眺める時間となった

じっくり見ていると実に不思議である

そこに大きな綿飴の塊があり、すぐにでも手が届きそうな感じに見えてくるのだ

「雲がぽっかり浮かんでいる」というのはこんな様子を言うのだろうか

暫しの間、見入っていた



午後からは久しぶりにソルボンヌの図書館へ

日本で図書館の管理をしている方が来られるので、中を見ることができるかどうか訊くためである

その前に、メトロのデュロック(Duroc)駅でこんな案内を見た

以前にも工事中に同じ表記があった

"C'est une plaisanterie parisienne !" とでも言うべきお遊びの精神なのか

気分が浮き浮きしてくる



ソルボンヌに到着、図書館に向かったが入口が閉まっている

閉館かと思って訊いてみたが、開いているという

しばらく歩き回っているうちに、図書館の入り口が新しくなり、場所も変わっていることが判明

昨年暮れに新しく生まれ変わったようだ


訪問できるかどうかは責任者にメールで確かめることになった

 



dimanche 15 juin 2014

久し振りのセーヌをスタン・ゲッツさんとともに味わう


午後から久し振りのセーヌへ

風が強く、やや波立っている

マスターのレポートを纏める時にはよく来たものだ

最早その時の張りつめた気持ちになることはできない

あの苦しいマスターがなかったとしたならば、わたしのフランス滞在はどんなものになっただろうか

 想像さえできない

そのことを忘れがちになる

そこに立ち返り、ドクターというものを見直すという心境になることができればよいのだが、、、




アパルトマンに戻り、スタン・ゲッツさんとともにセーヌを味わい直すことにした






samedi 14 juin 2014

並べ方を変えて観る


このところ、どのように纏めるのかに頭を悩ませている問題がある

今朝、別ブログを開け、何を思ったのかダイナミック・バージョンにあるいくつかの表示方法にしてみた

この場も最近そのやり方を変えたばかりである

そうすると、一つの記事で意識が占領されのではなく、ブログ全体が視界に入るようになった

もちろん、全体と言っても以前よりは広い範囲という意味だが、、

あるいは、並べ方が変わるために全く新しいものに見えてくるとも換言できる

その時、以前には気付かなかった繋がりが見えてきたのである

それらを取り出して読んでみると、今抱えている問題の大きなヒントがそこにあるではないか


同じものでも見方によって変わる、とはよく言われる

しかし、具体的に経験すると、それは言われている以上に重要であることが分かる

と同時に、書き残したものを放って置くのではなく 、見方を変えて見直す作業をするのも面白い

そんな気にさせてくれる貴重な経験となった





vendredi 13 juin 2014

再びの飛行か


今日は朝から街に出た

アパルトマンに籠もっていると、なかなか捗らないからだ

しかし、外は夏の気配

街を歩いていると気分が開放的になり、何もやりたくなくなる

学生であった風船が手から離れて空高く飛んでいくイメージだ

元々空を飛んでいたのが昨年あたりから地上に戻ってきたかと思ったのだが、、、

再び地上に戻って来ることはあるのだろうか





jeudi 12 juin 2014

サン・テミリオンの風景から



サン・テミリオンの「王の塔」 « Tour du Roi » から村の中心部とは反対の方角を望む

そこに修道院の跡が見え、不思議な印象を残した

よく晴れた風の強い日だった





mardi 10 juin 2014

パリらしい一日、20年ぶりの友人と語らう


 昨日は、雷鳴と雨音で目が覚めた

こんなことは滅多にない

パリで天変地異と言えば、わたしの中では雷しかない

大地のこの落着きに気付くのは、日本に帰った時だ


昨日はややこしい天候であった

雷と雨の後は晴れ上がり、そうかと思ったら雨になる

そのまま雨かと思えば晴れ、素晴らしい夜空を見せてくれた

それで終わりかと思ったところ、アパルトマンに着いた途端に雨となり、しばらくすると遠雷が聞こえた

如何にもパリらしい一日であった


そんな昨日は日本から20年ぶりくらいのお客さんが学会のために来られた

待ち合わせ時間が丁度雨に変わる時

しかしディネの途中から晴れ、ご希望だという場所に向かった

わたしにとっては初めてのところ

精神の世界に長くなったためか、空蝉への反応が鈍っているように感じた

それよりは、皆さんのその後や昔と今の環境の変化というような何気ないことの中に興味深いものがあった

時の流れの速さとこの生の短さにはいつも驚くようになっている








lundi 9 juin 2014

連載エッセイ第17回 「アリストテレスのエネルゲイア、あるいはジュリアン・バーバーの時間」


雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 第17回エッセイを紹介いたします

ご一読、ご批判いただければ幸いです


« Un regard de Paris sur ce monde » 

医学のあゆみ (2013.6.8) 245 (10): 895-899, 2013




vendredi 6 juin 2014

長閑な昼下がりのサロン・ド・テにて


気持ちよい日和である

デジュネに入ったサロン・ド・テの屋外のテーブル

座ってすぐに至福の感情が湧いてくる

抜けるような若い緑が眩しい

その影がビルに映っている

角のお店には赤いアクセントが

何もやる気がなくなる長閑な昼下がりである

残念ながら、この写真ではそこまで感じ取ることはできない


隣のテーブルにはビジネスでパリに来たと思われるアメリカ人4人組

会話のテンポが速い

はっきりとした言葉で、言い淀むことがない

オプティミズム溢れる話を聴いていると、気分が晴れてくる

彼等の見ている世界はわれわれのそれとは全く別物になるのだろう

立ち去った後の椅子に女性の上着が置き忘れてある

大きな声で呼び止めると戻ってきた

それほど快適な季節になってきた








jeudi 5 juin 2014

フランス語の二つの表現について


先日のボルドーでのこと

改めて、フランス語の二つの表現についての考えが巡った一瞬かあった

フランス語を始めて早い時期に気付いたことなので、どこかで触れているかもしれない


ひとつは « A, c'est B. » である

日本語では 「A、それはBである」 となる

日本語でも英語でもあまり使った記憶がなかった文型なので、すぐに気付いたのではないかと思う

一つの 「こと」 をまず目の前に投げ出し、それを眺めてその姿を説明する、というニュアンスがある

今回のことであれば、まず 「旅」 という言葉を投げ出し、その後に 「それは・・・」 と続けることになる

「旅」 という 「こと」 を定義する作業が後に続くのである

 つまり、一つの言葉が指し示すことについて考えること、省察することが求められる

もちろん、日常の会話では何気なく使われているのだろう

しかし、この文型に出会った時、省察の重要性に気付くと同時に、それまでの欠落が見えたのである

この文型、今ではわたしの日本語の中に入り込んでいる

大胆に言えば、この文型こそ哲学の姿かもしれない

一つの言葉を投げ出し、それについて説明することは、よくよく考えると至難の業である

忙しい日常に追われていると、そんなことをしている暇などない

日常に必要なところで止めて次に進むのである

それをやるのが哲学者かもしれない


 もう一つは、一人で言う « Pourquoi ? Parce que... » である

日本語では 「なぜでしょう?なぜならば・・・」 となる

まず自らに疑問を投げかけ、それについての持論を展開する文型とでも言えばよいだろうか

 この文型が使えるためには、ある 「こと」 について 「なぜ」 の疑問が先になければならない

その上で、その 「こと」 について考える作業が続いていなければできない文型である

「こと」 に当たる時には省察が必須であることを教え、意識させる文型でもある

また、この文型は議論すること、説得することが日常でない場合には必要ないだろう

日本では使ったことがない

改めて、議論ということをして来なかったことに気付く

もちろん、議論のトレーニングなど受けたこともない

どこか深いところに 「問答無用」 の精神でも流れているのだろうか





mercredi 4 juin 2014

日本酒を求めて街へ

 Workshop Issé


今日は雨天の予定だったが、午後に収まった瞬間を狙って街に出た

日本の友人から以下のような要望があったからである

こちらで開かれる国際学会で次回の日本をプロモーションするためにパーティを開く

その会場で出す日本酒をどのように仕入れたらよいのか


先日、その方面に詳しい方に紹介されたお店を回ることにした

メトロを下りると、土砂降りになっている

暫く休んでから雨の中を歩くが、なかなか止んでくれない

途中、カフェと本屋さんで雨宿りしてから一軒目に向かった


辿り着いたお店で丁寧にお相手をしていただいたのが、亀井様

 店のご主人は不在とのことであった

こちらの要望を伝えたところすべてが満たされそうなので、日本との間でやり取りをしていただくことにした

道を挟んだ向かいに、夜食事とお酒を出している姉妹店があるとのことで案内された




なかなか感じの良いところで、予想もしない発見となった

こんなことでもなければ日本酒を売っているお店を探すことなど、考えもしなかっただろう

日本の友人に感謝すべきなのだろうか




mardi 3 juin 2014

フランス的思想を広めるということ

Dr Xavier Deau


ヘルシンキ宣言50年シンポは、午後のセッションも聴いてから帰ってきた

ボルドーの疲れを癒すにも最適であった

日本の状況はわからないが、こうして一日聴いてみるとフランスの医学倫理は充実しているように見える

しかし、最後のまとめのセッションで興味深い指摘があった

世界医師会の次期会長ザヴィエル・ドー(Xavier Deau)さんの次のような発言である


世界の医学倫理におけるフランスの存在感は、欧米の他の国に比べると薄い

アフリカのフランコフォンの国に行ってもその傾向に変わりはない

(フランス語を使うスイス、ベルギーなどが入っているのだろうか)

これまで世界で通用する原理的な考えを広める上でフランスは重要な役割を担ってきた

しかし、その力が弱まっているのではないか

新興国においてフランス的な精神を広める上で忘れてはならないこと

それは、援助するという考え方を捨てること

助けるとか考えを押しつけるのではなく、相手の話を聴き、理解し、寄り添う姿勢が必要になる

この原則に基づいて、フランスの倫理の考え方を広めていきましょう


世界医師会会長というよりは、フランス人としての発言であった

世界にフランス的価値観を広めようとする意識はまだ健在のようだ

翻って日本の状況はどうなのだろうか

先日の記事でも触れたが、日本の物ではなく思想を広めるという考えが生まれることはあるのだろうか

鈴木孝夫博士の講演を聴く (2013-05-07)

国内の狭い枠の中で忙しくしているところからは広めるべき思想そのものが生まれてこない可能性がある

外に開かれた視点を持つことができるのかどうか

素人目にはそのあたりが大切になるのではないかと思うのだが、、、

いずれにせよ、日本発の骨太の思想が生まれ出ることを期待したいものである




ヘルシンキ宣言50年の記念シンポへ



 今日は朝からコロックを聴くために厚生省

1947年のニュルンベルク綱領を経て、1964年に出されたヘルシンキ宣言の50周年を記念した会である

この宣言は、世界医師会WMA)が人間を対象とする研究に対して採択した倫理に関する文書である

対象は人間だけではなく、人間に由来する資料やデータにも関わる

また、医師だけではなく、医学研究に関与する人にも勧めている  

ヘルシンキ宣言の全文は、こちらから


午前中はインフォームド・コンセントが取り上げられていた

フランス語では、Consentement (libre et) éclairé という

弱い立場にいる人に、説明して同意を得るとはどういうことなのか

そもそも「説明する」のexpliquer は、風呂敷を広げるようにするという意味のラテン語に由来する

「もの・こと」を包み隠さず見せ、伝えることである

ある方は、「忠実に、正確に、適切に」と形容していた

その上で同意となるが、consentement (同意)と sentiment (感情)は別である

同意には事務的な含みがあり、その人間の感情にまで達している保証はない

相手の感情が満たされるところまで行かなければ信頼(confiance)は得られないと経験者は語っていた




dimanche 1 juin 2014

最終日はサン・テミリオンへ


予想された悪天候もほんの一瞬雨に降られただけで、今日も太陽が覗いている

最終日はユネスコの世界遺産に登録されているというサン・テミリオン(Saint-Émilion)へ

この地のワインはサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼途中の旅人たちの間で評判になったとのこと

先日の出会いと繋がっている

しかし、今日の繋がりはそれどころではなかった



ボルドーからサン・テミリオンへの車中、向かいに座ったお一人がこの方

イギリス人で今はタイにお住まいとのこと

それだけでは驚くに当たらない

何とサンティアゴ・デ・コンポステーラへの旅を33日で終えたばかりで、ボルドーで体を休めているところだという

Camino に出るのであれば、と言っていろいろな助言をいただいた

そのアドバイスが必要になる日は来るのだろうか




 そして、こちらの若者はニューヨーク生まれの中国系アメリカ人で、現在はシアトル在住の27歳

彼もサンティアゴ・デ・コンポステーラへの旅を2週間やったことがあるという

その道中、毎朝柔軟体操をしてから歩き始める85歳と79歳の日本人老夫婦に会ったという

四国八十八箇所のことも知っていた

瞑想することが気に入っているようだ


大学を出て5年間、世界の旅に出ているが、アメリカに帰ったらメディカル・スクールに入りたいとのこと

わたしの話を聞いた後、彼はこう言った

「あなたはこの世界に偶然はないと思っているでしょう」

このブログの頭にある言葉を教えると、納得したようであった


video


今日は間違って動画撮影モードにもなっていたようで、こんなうれしい映像が現れた

本当に誤謬は豊穣の母である

Camino でもらった証明スタンプを見せてくれた

大切な記念のようだ




ボルドーから40分ほどでサン・テミリオンに着いた

駅から田舎道を20分ほど歩くと、町の中心部に










気持ちの良い天候になってくれた

ここの伝統的なマカロンは有名なようだ

サン・テミリオンということで、開いていた無料のカーヴを覗いてみた










ひんやりしたカーヴで暫しの時を過ごす

どこを切り取っても絵になるのに驚く







そして、最後にまた一つ驚きが待っていた

帰りのサン・テミリオン駅に早く着いたのでホームで休んでいると、若者が声を掛けてきたのだ

完璧な日本語で



アレックスというその若者の話を聞いてみると、福岡に1年、東京に1年滞在していたという

今はサン・テミリオンのシャトーで仕事をしながら、芸術活動をしているとのこと

子供の時に写真で見た日本の風景が気に入り、それ以来日本文化に興味が湧いたという

こちらで日本語を学んでいたとはいえ、僅か2年でここまでの日本語を話すことができるとは

わが身を振り返ると、驚異的である

日本ではバーでアルバイトもしていたとのこと

フランス語を上達したければ、バーに勤めたらどうですかと冗談を飛ばしていた


日本の生活では、こちらとは違う人間関係を知ることができたという

彼の言葉で言えば、こちらはコンフリクト(争い)の文化だが、日本にはそれがない

日本で暮らしている場合にはそれでよいのだろうが、世界に出ると大変だという認識

それから言葉で表現することが苦手に見えたという

外国語どころか、日本語で「もの・こと」を表現するのが上手ではないと言うのだ

おそらく、説明しなくてもよいような人間関係の中にいることが原因ではないかという推測

内輪の話に終始しているため、「もの・こと」を外から眺めて客観視した上での話ができなくなる

 そのことを日本の友人に話したことがあるようだが、よく理解してもらえなかったようだ

 こちらの時間が長くなったその目で日本の様子を見ると、彼の言いたいことがよく分かる

自らを省みても、一瞬一瞬に頭を絞って言葉を選び出すという作業が行われていないことに気付く

貴重な観察と指摘であった



今日も最後まで興味深い出遭いがある一日だった

明日、パリに戻る