vendredi 16 janvier 2015

「出来事」 から2週間、「これから」 が見えてくる


元旦の朝、今年は滑る年になるのではないかと予感していた

そして、1月4日にその予感を遥かに凌駕する 「出来事」 に遭遇

以来、2週間が経とうとしている

この間、実に大きな気持ちの動きがあった


先週初めは、デジャヴューを味わっていた

奇妙にも、前回も丁度8年前の1月のことであった

それまでの仕事を辞め、全く新しい領域に入ることを実感した時のことである

これは、生まれて初めての経験だったのである

体の芯が冷え切るような感覚が1-2週間続いた

「これから」 に対する不安のようなものを体が感じていたのだろう


それから暫くすると、これまでのものを捨て去り、リセットできるという解放感が訪れた

身の回りにあったすべてのものが消え、辺り一面が焼野原になったような景色があった

そこに、これから何を建ててもよいという自由の感覚を味わっていたのである

今回の 「出来事」 でもこれまでの蓄積が消え去り、体の芯が冷え切っていた

 そして暫くすると、重く圧し掛かっていた記憶が消えたための解放感だろうか

どこか晴れ晴れとした気持ちも生まれているのに驚いたのである

まさに、8年の時に区切りを付けるかのような体験であった


 ルバング島で最後の戦友を失った小野田寛郎さんは、そのプラス・マイナスを計算したという

その結果、戦力が半分以下になることはないと結論する

新しい状況における利点を探し出し、生き残るために戦略を変更したという

ある 「出来事」 に遭遇した時に採る一つのやり方になるのだろう


根こそぎさらわれるようなカタストロフに遭遇すると、それまでの生活がより明確に見えてくる

それまで継続されていたものが、必ずしも良いものばかりではないことが見えてくる

失うものは大きかったが、それまでとは全く違うものを生み出す可能性が現れる

そのためには、カタストロフが生まれた状況やその帰結についてしっかり向き合うことだろう

そこからどれだけの新しいものを引き出すことができるのか

そこに創造性が生まれる機会がある

バディウさんの言う真理への道である


今の段階で言えること

一つは、そろそろ庵から出て、外の世界に触れる時が来ているのではないかということ
 
7年を超える瞑想生活の中で、庵の奥から外界に対応していたことが見えてくる

それはそれで快適な世界であったが、体の方が反応していないのである

もう一つは、ここ暫くは一つのことに絞って頭を使ってみるということだろうか

これまではいつも複数のことを抱えていて、虻蜂取らずの状態であった

今は丁度更地になったところなので、立ち上げを選択できる状況になっている


日本に目をやれば、今年は敗戦70周年に当たっている

当時は焼け野原からのスタートだったが、一方である種の解放感があったのではないか

殆どゼロからの出発なので、理論的には可能性は無限に近かったはずである

実際のところは分からないのだが、、

しかし、時が経つにつれ、可能性の幅がどんどん狭められてきた

息苦しい時代が続くのだろう


今回の 「出来事」 もある意味では焼け跡からのスタートである

しかし、そこには新しい可能性が生まれる切っ掛けがあると考えたい

なぜ、この時期に、この 「出来事」 に遭遇したのか

なぜ、こうならなければならなかったのか

偶然はないと考えがちなわたしにとっては、興味が尽きない問いである

その解が見えてくると、新しいあゆみを始めることができそうである


人生に意味はない

 意味を与えるものなのである







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