lundi 26 janvier 2015

外に開き、「共にする」 ことの意味


朝から街に出た

夜に雨が降ったようで、路面が湿っている

ただ、先月ほどの寒さは感じない

今日は日の光を見ることはできなかった


新年の出来事から見えてきたこと

あまりにも当たり前なのだが、身に滲みて理解できたことなので記しておきたい

 それは、後に残るものはそれまでに共有されたものだけだったということ

今回、自分の記録を失ったようなところがある

それは自らの記録なので、ある意味では記憶を失ったとも言える

 そこで、どこかにその断片は残っていないかと探してみると、すべて共有されたものであった

例えば、人とのメールのやり取りで交換した文書やスライドなど

添付書類として雲の上に保存されている

ブログには記事や写真が残されている

また、カフェSHEやPAWLなどのサイトには、その記録や写真やパワーポイントまで残されている

すべて公開され、共有されたものであった


文化は伝承されて残る

大袈裟に言えば、細やかな営みも記録され、伝承されることがあるとすれば、文化になり得るだろう

勿論、個人の記録として保存することは可能である

しかし、それを外に開き、「共にする」 ことで得られるものは想像を超えるのではないか
 
そういう認識を持ちながら行動することで、これまでとは全く違う景色が広がってくる

これも新年の出来事のお蔭かもしれない






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