dimanche 29 novembre 2015

作家の作法



7年前のブログを読んでみる

その中にあった1968年10月18日放送の「川端康成氏を囲んで」という放送を観直してみた






まず、最近では見かけることのない個人の間の礼儀正しく端正な距離感に打たれる

このような姿勢はいつの間にか失われ、個人の間がだらしなくなっているように見える

アメリカの影響なのかどうかわからないが、砕けすぎているように見えることが多い

幼くなり、個人として相手に対する真剣さや敬意が薄れているように見える

恰もそれが良いことのように


7年前はマスター2年目のミニメモワールを書かなければならないと意識していた時期に当たる

7年後は学生生活の総仕上げとも言えるスートゥナンスが迫っている

これがどうように終わるのか、全く分からない

上の鼎談で、川端氏の仕事振りについて三島由紀夫氏が解説している

それを聞き、一つの考えが巡っていた


それは、何かに向かう時、やたらと騒ぎ立てるのは余り美しいことではないというものである

やれ大変だとか、やる気にならないとか、苦しみの結果終えることができたなどという類のことである

孤独の中で苦しんで書いているだろう川端氏も、それは当然と言わんばかりに飄々としている

書くことを仕事にしている人にとって、これは一つの美学になるのだろうか

最近の自らを振り返ると、まだまだ修行が足りないようである





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